第二十六講―倒れた、大いなるバビロンは倒れた


聖書ヨハネの黙示録講義作者:呉明憲兄弟

第二十六講―倒れた、大いなるバビロンは倒れた


聖書ヨハネの黙示録講義ー目録

 ヨハネの黙示録ー第18章
18:1この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。18:2彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。18:3すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。18:4わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。18:5彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。18:6彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。18:7彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。18:8それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。18:9彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、18:10彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。18:11また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。18:12その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、18:13肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。18:14おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。18:15これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、18:16『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。18:17これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、18:18彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。18:19彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。18:20天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。18:21すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。18:22また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない。18:23また、おまえの中では、あかりもともされず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、18:24また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。
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前に読んだヨハネの黙示録十七章の時に、既にこの大淫婦をロマ・カトリック教だと分かり、そして十八章まで一層はっきりである。先に24節をよみましょう;
  ヨハネの黙示録18:24また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。
預言者や聖徒の血が、この都で流されたからである?歴史上で、キリスト教が三百年の間もロマ帝国の迫害を受けた。第五位のロマ皇帝シザナイルがロマ都を焼かれてから、クリスチャンに責任をひた押して、ロマ都を焼かれた張本人がクリスチャンだと宣告した。そして多くのクリスチャンを逮捕し、円形競技場にクリスチャンを入れられ、獅子、徒らと素手で格闘させる。数え切れないクリスチャンがこのまま咬まれて食べられた。
この様な状態で三百年も続きました。その時代にて、主イエスを信じてしまった者がこのような酷い迫害をロマ帝国が行った。この時期のクリスチャンを古墓聖徒と呼び、なぜなら、古い墓の所で、集会を行うからである。当時の墓と今の墓が大いに異なるが、当時の墓にある死体が犬によって、外へ引きずりだされてから噛まれる。一般では、夜になると、墓の所に行く勇気のある人がいないのです。だからクリスチャンが集会する為に、このような場所を選んで、集会をしながらお祈りをします。このような状態が三百年間が続いた。
三百年後のロマ皇帝、@ンがクリスチャンとなって、あっという間に、キリスト教はすぐロマの国教になった。その時のロマ帝国が既に東西ロマ帝国に分裂され、皇帝がクリスチャンとなった以上、国民のすべても主イエスを信ずるようになった。元々クリスチャンを迫害するロマ帝国だが、ひっくり返して、キリスト教はロマ帝国の国教となり、全国民がクリスチャンとなった。水礼を点け始める時期がこの時に発生したものである。
あんまり多過ぎる庶民がパプテスマを受ける為に、浸水儀式が間に合わないので、水礼を点けに変えた。しかし洗礼を受けた人が一体本当に主イエスを信じたでしょうか?いいえ;そうではないのです。皇帝と兄弟の呼び合いと利益の為に、又、教会と政治も一つとなって、政教連合と言う制度に変わった。時の流れに任せて段々教会の事が政治に繋がっていくという制度に切り替えられた。
今の世界の政治と教会の両者の間に別々となっている。なぜヨハネの黙示録の十七章で、この女は地上の王達と姦淫を行うと言われるのですか?その原因は;法王となる人は即ちロマ皇帝でもある。過去のロマ皇帝がすべて法王となるのだ。しかし皇帝が法王であるが、神のことを全く知らない。コンスタチンーロマ皇帝がパプテスマを受けたが、聖書の事を全くしらない。神の真理をちっとも認識していなかった。結果として、教会の中に悪の偽り信者が生まれ、法王こそ聖書を解釈及び説明のできると宣言した。この時期において、教会としても贖罪券など真理に違反する多くの悪行を絶えずに行った。
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  このような環境下に置かれる本当のクリスチャンは、これらの酷く乱れる事に耐えられぬに反対に走った。これがペルガモ教会の始まり、サタンの住んでいるあなたがたの所です。
ヨハネの黙示録2:12ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。2:13わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人とは、当時のロマカトリック教がマリヤを高く崇められ、神の子イエス・キリストを格下げさせた。それで、多くのクリスチャンはそれに反対し、イエスの名を堅く持ちつづけ、主の忠実な証人となって。マリヤを否定し続けた。
彼らはアンテパスと言い、イエスの名を堅く持ちつづけ、主の忠実な証人となった。
教会の支配者は母親が子供より偉いと思うので、母親を崇められれば好かろうという真理に反した行いには神様が黙っていない。兄弟達;十六世紀の宗教改革者―マチンロートは言われた;困難の時に聖の母マリアにお祈りで、イエス・キリストに向けお祈ることではなかった。
聖の母マリヤに祈れば適当でしょうか?私達のお祈りを聞いて下さるのですか?いいえそれは不可能です。四福音書で主イエスがマリヤに向けての話し内容を見て見ましょう。1回目は主イエスが12歳の時でした。イエスは会堂へメッセージを聞きに行かれたが、マリヤが彼を探しに行った。主イエスの言われた内容;
ルカによる福音書2:49するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
ペルガモ教会は政治と連合となってから、闘争が多発され、忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺されて、殉道者が続出だった。この時期に水礼を点け、贖罪券や、マリヤを崇め、偶像を拝みなど特に教会の中には殆ど彫刻される偶像であって、偶像拝みもこの時期から始まった。
そのときの教会は立派に建てられ、何しろ国にはお金が有って、教会には権勢があった。例えば;聖ペテロ教会は素晴らしい建物であった。特にミケンランジエロのような画家が、ロマ皇帝兼法王によって、命令されたとおりに、教会の壁や天井に物凄い画が描かれた。 ところで、教会と政治の繋がりがでいてから、多くの人が教会に入り、聖書の教えの真理に違反され、祈祷、敬拝み、偶像等の間違いすべて教会に持ち込まれてしまい、教会はのサタンの住んでいるあなたがたの所となったアンテパスとは、一人の事を言うことではなく、多くの人を指すのである。アンテとはantiで、敵キリストを意味する。バスとは、anti-panが、一切の意味であり、即ち一切の真理に反する人に反対する意味である。
水礼を点け、贖罪券や、マリヤを崇め、偶像を拝みや、方法しか聖書の解釈できないなどの事にすべて反対する。カトリック教は行った真理に違反する事に反対するとは、アンテバスと言う。しかし法王は皇帝であり、反対する人を絶えずに殺してしまう。ということで、カトリック教はその時から、クリスチャンを殺し始められた。そして、ペルガモ教会からテアテラ教会まで発展し、このような状態が更に激化し、最後に信者に聖書を読ませない法令を生みだした。なぜなら一旦聖書を読むと、神の真理を知るようになるからである。
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 ペルガモ教会は、『連合』で、またゆえに、連合される対象は皇帝であり、だからまた『高台』を叫ぶ。ペルガモ教会の後、聖書が閉じられた。コンスタチンーロマ皇帝が西暦三世紀の時に、クリスチャンとなったが、西暦四・五世紀以降、聖書が信者に千年以上も閉じられ、16世紀から再び人に開かれた。大凡少なくとも十世紀の間に聖書を読む信者にとって、生命の危険にさらされることになる。
ロマ帝国は世界の多くの国家を治めたが、西暦四世紀に西ロマ帝国が滅亡サレテカラヨーロッパ全体が潰れた。当時のカトリック教が、権勢が大きくて、すでに起きたこの政権を継承して、多くの国の皇帝が即位する時に、ロマ・カトリック教の法王の冊封を通らなければならない。   
ヨハネの黙示録17:18あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
千年以上も支配し続けた。フランス皇帝・ルイ十四より提出した王権が神から授かる説によって、法王と皇帝は狼狽して、政治利益を交換し、皇帝は自分が神の御使いだと宣告され、王権が神から授かると言いきる。歴史記載を読めば、この言葉を目にすることが出来る。
もし 王権が神から授かると決めつければ、庶民がそれに反対する事が出来るだろうか?イギリス皇帝のジョウジ・ヘンリ八世は皇后の興廃の為に、イギリス国教を設置し、ロマ・カトリック教による婚姻の反対を押し切った。しかしイギリス国教の骨とロマ・カトリック教の中身が全く同様に乱れていた。この様な教会の乱れを見て、主を愛する人が受け入れる事が出来ないが、反対する人が逮捕されたら、殺されることになる。これは所謂アンテバスである。聖書の真理と反対の所があれば、アンテバスがすべて反対する。
事実に言えば、ロマ・カトリック教はロマ帝国よりクリスチャンをもっと多く殺害された。当時の政教連合によって、教会の真理を伝えない権勢の実力者に反発する人間を火の刑にかけるほど犠牲者が多く出た。聖書の真理を話す自由を信者に与えない当時の専制ぶりについて、当時のDonQuixoteドンキホーテ ドフラミンゴ』の作家セルバンテスMiguel de CervantesSaavedra,1547年−1616年)が幻の寓言の表現方法で自分が悪魔と戦う毎日だったことをこのDonQuixoteドンキホーテドフラミンゴ』にある寓言を通して表現するほど、後世に名が残したこの偉大な作家がついに宗教の権力者によって、火の刑にかけられた。
DonQuixoteドンキホーテドフラミンゴの内容は正に次の聖書の内容;ヨハネの黙示録2:13わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。ペルガモ教会には本当に多くの敵がはいり、サタンの座席となった。
ロマ皇帝自身はクリスチャンであることを認めてから、すべての悪行が染み込んできたので、当時の教会の信用が大いに失墜した。このような場所では「あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスが・・・・・・」これは一人の名前ではなく、多くの人を意味する。当時教会の光景を見過ごせなかった多くの人が大胆に正義の声を発し、神の真理を公言されるほど、人々に教会の光景がこうなるべきではなかったと呼びかける。
現世では、主イエス・キリストが人の目の中に壊れたホテルのように見えるが、クリスチャンのめに留まるのが、都である。現世では、卑俗の女郎であることが見えても、神の目には、王女である。ドンキホーテドフラミンゴの描き内容は、神と人間の見方の違いである。今日は牧師となろうと目指す人が少ないが、多くの人は技師や弁護士や医師や会計士などを目指している。
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  この世の価値観と永世の価値観が異なる。ドンキホーテドフラミンゴは、人間の目に留まる風車だけの悪魔を攻撃すると言う行動につき、人間にとって必要があるのか?と思われるが。同じように毎日の朝、五時半に起きて、朝のお祈り会を守る必要が有るでしょうか?躊躇する聖徒がいると思うが、又朝五時半におきて、高級なゴルフをしに行くことで、緑一杯のところには、プールがあり、ひとりひとりウエアリングが高級であるレジャーで、高価なゴルフポールを持っていて、出入りをする。しかし幾らパットで旨くボールを入れられなくても、自分がとてもデラックスを感じられて、素晴らしい自分だと思い込む。
しかし貴方は毎日朝五時半にて、朝のお祈り会を守れば、変な人だと思われるかもしれない。セルバンテスの時代では、真理が明確に話せないので、書くしかできなかった。
「ドンキホーテドフラミンゴ」の様な本は諷刺小説で、当時の社会の聖書への歪虚や御霊を捨てることを描写する。ところで、歴代にわたって、神の教えを守る聖徒の結末が非常に悲惨で、セルバンテスの最後が火の刑にされてしまった。ドンキホータ・ドラミンゴのような意味不明な諷刺内容であっても、結局、依然殉道してしまった。
ロマ・カトリック教は、この様にクリスチャンを迫害して、丸々千年余りが有った。殺されたクリスチャンの数も数え切れないほど多かった。歴史の記載によって、ロマ帝国の三百年間で、殺したクリスチャンの数がロマ・カトリック教に劣るのです。
ヨハネの黙示録17:6わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。
  ヨハネの黙示録十八章にある物事が、十七章14節の時に起こる;
17:14彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。
彼らは小羊に戦いをいどんでくるとは、敵キリストと彼の伴いで、即ちこれはハドマゲドン戦争である。ハドマゲドン戦争が終われば、神はバビロンー大淫婦のロマ・カトリック教を厳罰する。
ヨハネの黙示録17:16あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
ここにある淫婦は、ロマ・カトリック教である。十の角がオヨーロッパの十の王である;
ヨハネの黙示録17:12あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
この十の王が獣と共に一時だけ王としての権威を受ける。獣と復興されるロマ帝国が同時に出現すると意味する。そして十の角が復興されるロマ帝国の中にある十の王の事である。
この十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。ロマ都は歴史上では、既にシザナイルによって、一度焼かれたが、ハドマゲドン戦争の時、又十の角と獣即ち数字六六六の敵キリスト(依然シザナイル)によって、もう一度焼かれる。
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  二度目のロマ都の焚焼きとは、一度目のよりスケールが遥かに大きい。十八章による描きは十七章16節以降の描き内容である;敵キリストによるロマ都を焚焼きの後、この大淫婦バビロンの様子を見て見ましょう;
 ヨハネの黙示録;18:1この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
聖書を読む時にその一つ一つ文字毎に、噛めば噛むほど深入りの意義が現れる事に気がつかなければならない。
この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。」と言うのは、聖書は御使いに言及すると、もろもろの支配と位も主権も、支配も権威も、権威と、世の主権者など、これらもすべて神によって創造され、キリストの為に作られた。
コロサイ人への手紙1:15御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
御子はキリストであって、キリスト・イエスは見えない神のかたちである。三一の神の中に、キリストのみ、かたちがあって、見えない神のかたちである。
創世記1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
聖書には多くの所にはその理屈を知らない場合が有る:神は「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」。この「われわれのかたちに」とは、三一の神のことで、複数の意味である。
「これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」−神は人を造るのに、上記の言葉の通りに、人間に権限を与えられ、全地を管理させる。
引き続き;
26節による「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造りと言われるが、
なぜ上記の複数から下記の聖書言葉に;
創世記1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神のかたちに創造するとは、単数の事を意味し、これが正しいことで、三一の神の中に、キリストだけかたちがある。
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創世記一章26と27節の中に既にこの真理を説明されたが、それほど詳しいものではない。直接翻訳すると次の通りに;聖の父は言われた聖の父、御子、御霊の形に、聖の父、御子、御霊にかたどって人を造り、神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、キリストのかたちに創造し、男と女とに創造された。又、引き続き;下記を読めば、ご理解が出来ると思います;
コロサイ人への手紙1:15御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
パウロは主の為にいかにも熱心で、特に聖書の要点には詳しくて、神から賜って下さる霊の明が溢れる。ヘブル人への手紙によって、旧約聖書を理解するのに大いに役に立った。ヘブル人への手紙を読んで見ると、旧約聖書の意味を理解しやすくなる。多くの人が旧約聖書を読んでもよく理解できないが、どうしてイスラエルの聖書の先生は旧約聖書を理解できない?
パウロは創世記にある神の黙示で、あの「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。」と言う言葉を理解出来た。
コロサイ人への手紙1:16万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
  この位も主権も、支配も権威も誰ですか?すべて御使である。地上の大統領は四年や八年の任期があって、それは、位も主権もと言えない。御使は、位も主権も、支配も権威もを擁するのは、神によって、天地を作り始める時からである。それからサタンが堕ちて、前の世代の地球が審判され、引き続き、聖書の創世記一章2節にある地球の再創造を経る。そして今までになって、御使がどれ位長い年代に渡って、支配も権威も擁したのである。
例えば御使が権勢を一億年や五十億年も持てば、地球の四年間や八年間の大統領の地位に居ても、地球の方があんまり短いではないか?ちっとも権勢とは言い難い。この万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである
二十世紀の今、我々は知っている多くの者が目によってもみえないものがあるが、まさか二千年前に上記の聖書の言葉の通りに分かる。聖書には形容詞がない物で、でもパウロはこの万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのであるという内容を書く時にどうやって分かったでしょうか?それも今の時代のようなハイテックでなければ分からない所が大いにある。御霊はパウロを通じて教えて下さったのである。
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  又十八章に戻ります;
ヨハネの黙示録18:1この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
支配も権威もとは、御使を指すのである。天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。モーセは神に触れてから、シナイ山から下りてくる時に彼の栄光によって、明るくされた。
出エジプト記34:29モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。34:30アロンとイスラエルの人々とがみな、モーセを見ると、彼の顔の皮が光を放っていたので、彼らは恐れてこれに近づかなかった。
34:35イスラエルの人々はモーセの顔を見ると、モーセの顔の皮が光を放っていた。モーセは行って主と語るまで、また顔おおいを顔に当てた。
モーセの顔色には唯元気がいいということではなく、彼の顔の皮が光を放っていたので、だから彼らは恐れてこれに近づかなかった。暫くの間にたってから、この栄光が段々消えて行くのである。もしある日、勝利を得た貴方が、神の国で、支配の権威を受けた。この時、大いなる権威を持つ御使が譲位しなければならない、神は将来の宇宙世界を御使いに服従させることは、なさらなかった。
ヘブル人への手紙2:5いったい、神は、わたしたちがここで語っているきたるべき世界を、御使たちに服従させることは、なさらなかった。  
その内、神の国で、勝利者に大いになる権威をお与えになり、勝利を得ていない者にも神の子供としての権威をあたえることになるだろう。
勝利を得る者であれば、祭司と成れ;
ヨハネの黙示録20:6この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。
   クリスチャンは勝利を得るもが出来ない人でも、神の息子となって、神の生命を授かり、少なくとも、神の国で、栄光を極めるであろう。しかし一つ言っておくが、現世では、勝利を得る者と成れない人であれば、千年の火の池に入れられるに気が付かなければならない。ヨハネの黙示録は開かれる聖書であり、十八書1節の通りに、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
  ヨハネの黙示録18:2彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
上記の解釈説明につき、非常に重要であるが、新約聖書の中において、非常に解釈し辛い所であった。主イエス自身も詳しく説明しなかった。
マタイによる福音書13:31また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、13:32それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
  主は言われた;天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
  このように解釈する人がおる;教会は元々小さいが、その内に大きな樹まで成長され空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる。教会は各種の事を供給する場所であると解釈した。この解釈が間違いであろう。
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  正確な解釈は;教会はじゅごんの皮でその上にかけるおおいの様に内部がよく見えないが、旧約聖書;
出エジプト記26:14また、あかね染めの雄羊の皮で天幕のおおいと、じゅごんの皮でその上にかけるおおいとを造らなければならない。
  しかしカトリック教はその後、成長すると、大きな樹となって、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる。カトリック教の中では、そこにはサタンの住んでいる所があて、神の真理を人々に惑わす。昔カトリック教はミサを行う時に、神父さんがラテン語で、聖書を読み、本当にすべての神父さんがラテン語が出来るでしょうか?まったくちんぷんかんぷんで、何を言っても自分さえ知らない人もいる。もしその横にラテン語の上手な人がいれば、判断がつくだろう。でもなぜラテン語で聖書を読みますか?新約聖書の語言は、希臘語であり、旧約聖書はヘブル語で、ラテン語とは、何ですか?なぜラテン語を使うのか?なぜなら、原因は、皆がラテン語を聞いても意味を知らないからではないか?更にその奥密も分からない。人間がつくし出した奥義とは、何だろう。兎に角自分の弱みを隠すために、多くの宗教がわざと神秘性を尽くし出すと同じ意味であろう。
ヨハネの黙示録17:5その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
だからといって、この大いなるバビロンは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。「巣くつ」とは、樹の上に宿る。上記の聖書解釈は、マタイによる福音書の中に天国と一粒のからし種のような解釈根拠である
主イエスは言われたのが例えと預言である;当時聖徒達に一粒のからし種が成長すると、野菜の中でいちばん大きくなつと主は説明しなかった。其中身としては、教会が成長してからの堕ちるのを意味する。
堕ちてから大きなカトリック教にも、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。要するに各種の悪魔と邪霊が教会に住みついたと言う。
ヨハネの黙示録18:3すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
「彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、」とは、カトリック教が全世界に述べ伝えられ、神の真理に違反する各種各式の行いをする、例え;偶像樹立である。プラジルの首都の聖パウロ都にある主イエスの像が飛行機の上から見える。神はその像の事が気に居られるでしょうか?
出エジプト記20:3あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。20:4あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
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  主イエスの風采は綺麗ですか?
イザヤ書53:2彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
しかし今の全世界にある主イエスの顔写真を見ると、幾らいい男のフランス俳優のアランロードンの顔にひげを這っていても、主イエスに劣る。その顔写真が主イエスですか?いいえ、そうではありません。聖書の教えによって、主の顔写真の像を立てる必要がない;
ヨハネによる福音書20:13すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。20:14そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。20:15イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。主イエスは甦った。彼女は振り返って主イエスを見たが、園の番人だと園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
マグダラのマリヤが主イエスを見たが、主イエスだと知らなかった。ここから分かるように主イエスは神である故、人間の創造する通りのかたちとなる意義がない。又ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、この日、このいっさいの出来事について互に語り合っていた。語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いてキリストは必ず行かれた。しかし、彼らの目がさえぎられて、そして、イエスを認めることができなかった。そして主はモーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。そして下記の聖書を読みましょう;
ルカによる福音書24:30一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、24:31彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
主の顔の像を造っても意味が有るでしょうか?主は人間の創造するかたちに制限されられるでしょうか?主イエスは甦ってから弟子達が主に会っても分からなかった。主イエスの像を造るのに聖書の教えを違反するのではないか?ロマ・カトリック教はこれらのの偶像をあっちこっちに溢れさせ、偶像を拝ませる;
すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
「地の王たちは彼女と姦淫を行い、」というのは、政治と教会が結託し、両方の利益を交換する。
サギデス以降の宗教はロマ・カトリック教のような政治力があるのですか?全世界の宗教も含めて、答えはありません。一つの国家のように、世界の各国と大使交換をなさって、利益交換を測る。ロマ・カトリック教も中国と外交関係を築きたいし、その目的も利益の交換であるのが間違いない。これは、聖書によるすべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
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  元々カトリック教は多くの偶像を拝んでも祖先への拝みを許されない。若い時にそうだったが、ある司教が、いきなり偶像と祖先への拝みやができると宣告した。カトリック教の多くの儀式では、偶像拝みをしたので、流れてきた、即ち彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲みである。
兄弟達;偶像拝みをする事によって、どれだけ厳しさに面するか?ご存知でしょうか。イスラエルの国民がこの偶像を拝み続ける逆らう罪で、西暦六世紀前から西暦1948年間で合計25世紀の間に、イスラエルを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。
エレミヤ書24:9わたしは彼らを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。24:10わたしはつるぎと、ききんと、疫病を彼らのうちに送って、ついに彼らをわたしが彼らとその先祖とに与えた地から絶えさせる」。
  西暦1930年の時に、六百万人のユダヤ人が集中営に送られ、惨殺された。歴代にわたって、どれ位イスラエル人が偶像拝みによって、惨殺された。亡国したイスラエル人に対する神からのろいをもって、のろわれる。
サウルは口寄せや占い師の女にサムエルを呼び起こして下さいと頼んだ。これだけで、サウロと家族が一日以内に戦死された。なぜなら神の戒めに逆らってしまったからである。
  歴代志上10:6こうしてサウルと三人の子らおよびその家族は皆ともに死んだ。
サウルは自分の王国を守るためにダビデを追い殺そうとしても、神はその行いを罪にしなかったが、口寄せや占い師の女に問い合わせをすることに対し、非常に神の怒りを買ったので、全家族が殺されてしまった。必ずしも口寄せや占い師に付き合わないように、隠される深重い呪いがあるので、くれぐれも聖書の教えを守るように。
しかしカトリック教は神の戒めを無視し、偶像や先祖への拝みを人々に教えた。すべてのカトリック教の教会には、聖の母マリヤの偶像が並べて、線香を祭りできるように。このようにぺルガモ教会の高台からテアテラ教会の香りの祭りまで堕ちてしまった。
すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い。
又カトリック教の教えには、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする、それは焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである
テモテヘの第一の手紙4:1しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。4:2それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。4:3これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
カトリック教は結婚を禁じたことにより、神父とシスタが生まれ、司教の選出も神父から選ばなければならない。
神父は結婚が出来ないと言うことで、世の中に神父の性のスキャンダルが絶えずに起こる。これも「彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み」。
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引き続き、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
法王や司教は正式の場所で、赤い色の服装を着る。司教にはもう一つあだなが「紅衣司教」と呼ばれる。法王は新聞記者会見の場合だけ、白い服で着飾るが、それ以外に、個人の部屋や靴下や馬車もすべて赤の一色である。特に教会では、非常に贅沢な暮らしで、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
ヨハネの黙示録18:4わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
テアテラ教会にも勝利を得る者がおる。カトリック教の中に救いを受ける人もいるし、勝利を得る者もおります。聖書による根拠が有ります。今の人間には、目の見える人間を大事し、情けが深いが、目の見えない神の黙示やお導きに耳を傾けようとしない人が多い。特に情けに縛られ、真理を語られない神の僕が数え切れないほどいるが、以外にも人間が簡単に御霊の感動を消してしまう。
兄弟達;使徒ヨハネはこの聖書で教えて下さった「もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。」
しかし、この聖書を読んでも分かるともしない。このカトリック教から離れようともしない。ここに居ても楽しい、ミサ儀式もいいとか言う信者がいるが、その日になると、必ず後悔します。神は既に警告して下さったのです。
はっきり言えば、教会はテアテラ教会―香りの祭りまで堕ちて、引き続きサルデス教会―真理回復、十六世紀にマチンルータが「信心によって、義を得る真理」パプテスマ教会も洗礼の真理...神の真理が一々回復されたので、この新しい教会を更正教会と呼ばれる。ところで、真理が回復されたが、サルデス教会には特色がある;一代目は一杯で、二代目は半分、三代目は空っぽとなった。四台目になると、全くでたらめです。
一代目の信仰光景は素晴らしかった、主に仕える為に代価を払うのも惜しくない。二代目になると、信仰光景が半分しか残っていない。三代目になれば、まったく信仰土台も失う位になる。
ある牧師は言われた;今の台湾には、正真正銘のパプテスマ教会がない。主の教えを堅く守り、忠実に行う当時の信仰がどこへいくやら、今のの教会がごますりばかりで、真理を言うのも全くなくなった。
我々教会の聖書研究会で、多くの初めての参加者が言われた;今まで自分が通ってきた教会では、この様な説教内容を聞いたことがなかった。なにしろ、聖書の真理が消えてしまって、人を火の池に導いているので、非常に恐ろしい。
聖書によって、わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
兄弟達;カロリック教は将来受ける罰が地上だけではなく、永世の中でも罰を受けることになる。
ヨハネの黙示録19:3再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。
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  ヨハネの黙示録18:5彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。18:6彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。18:7彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。
上記の聖書によるカトリック教は自ら高ぶりである;カトリック教の法王は、Pope、父の意味ですが、このような呼び方が地上の聖の父と言う意味になります。ですので、法王以外、誰でも聖書を解釈する事が出来ない。法王によっての説明こそ、標準式とされる、これが神の栄光を盗むことになります。
18:8それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
一日のうちに、ロマ・カトリック教は火で焼かれてしまう。CNNの生放送によって、全世界のどこにもそれを見る事が出来る。ここで言う彼女の災いが一日のうちに彼女を襲い、十一章にある二人の伝道者の三日半後の復活より恐ろしい。彼女が1回きりで焼き尽くされてしまう。下の聖書を読みましょう;
18:9彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
今全世界には、ロマ・カトリック教と外交関係のある国家は少なくとも170〜180個があるが、少数の共産主義の国以外、殆ど外交関係が築かれている。「彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ」。全世界の約二百位の王がその日で、この都を焼く煙を見られる。
その日で、この都を焼く煙を見られる全世界の王がテレビの生中継やインターネットを通じて、見るのです。十一章の二人の伝道者の生中継と同じ意味の預言である。神は全能者で、世界を創造し、世界の進化を予定させる。そして、神の管理下で、あらゆる事を予定する。
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18:10彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。

  ここの「遠くに立って言うであろう」とは、勿論ロマ都の近所に行くことではなく、遠い所にたつことを意味する。又焼かれる時に、諸々の王が彼女のために胸を打って泣き悲しみであるが、外交関係があっても応援することがしないのを意味する。 
  18:11また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。

18:17これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、18:18彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。
上記の16節と17節の聖書を読んで、これらの地の商人たちとすべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、船によって、国際貿易の発達で、ロマ・カトリック教まで商品をお届ける。又王達だけではなく、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちも遠く立って見る。
18:12その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、18:13肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。
上記の聖書によって、人口販売までも行い、多くの罪も隠されている。
18:14おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。18:15これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、18:16『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。
彼女は紫や赤い服を着、カロリック教に最大の特徴と言えそう。又金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都とは、前の十七章で既に述べたが、ここにも実際的にカトリック教には沢山の金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都である。
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  18:17これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、18:18彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。
  上記の聖書がより詳しく述べてある全世界の港で、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、随分距離が有る。彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。
私は(作者自身)35年前に福音を受け入れた時に、上記の聖書を読んだが、当時の理解が、彼女が焼かれて、皆がわざわざそこへ行って、望遠鏡で見物のように見ると言う認識しかできなかった。1970年代に入る時、テレビ会社が始まる時期に、衛星中中継も聞いたことがなかった。だから上記の聖書を読んだ当時に、望遠鏡で遠い所から眺めると言う認識しかできなかった。科学の進歩につれて、1970年代からテレビ衛星生中継が始まって、段々分かった上記聖書の黙示、正に神しかできないみわざである。テレビ生放送とインターネット中継である。でも目を覚まして下さい;これは二千年前の人が書かれたものである。
18:19彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。
  「海に舟を持つすべての人」とは、これらの人が世界の至る所に居るので、全世界がこの光景を見られる。しかも彼女の災いは「一日の内にくる」、そして「一瞬の間に」この巨大の富みと都も一瞬にして無に帰してしまった。CNNの生放送しか見る事が出来ないであろう。
  18:20天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。
  兄弟達;【実に言うと、地上の人が主の再来が嬉しくないと思っている。例えば、ロマ・カトリック教と貿易を行う商人たちが好きではないだろう。又音楽を仕事にする人もそうだと思い、何しろイタリアの音楽を学ぶことが出来なくなるだろう?又ピアノや歌、ラッパなども役に立たなくなる、世界の価値観が変わってしまうためである。
こう言ったこともすべてロマ・カトリック教から始まったのです。特に音楽もロマ・カトリック教から起き上りを動かす。
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  世界的に有名なドイツの音楽家バハの時代で、音楽がなければ、神への賛美に当てはまらない。と言うことで、音楽学科を専攻する学生が必ず聖書を読まなければならない、学習する内容が一体何を語っているか到底理解できない。多くの舞台劇は、殆ど聖書の内容を語っていた。特に音楽家モザトが書かれたミサ曲やたましの慰めなどすべて神への賛美である。しかしロマ・カトリック教は焼かれるので、すべての者が一瞬の間にきえてしまうことになる。
だから主の再来による、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。

ヨハネの黙示録18:21すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。18:22また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない。18:23また、おまえの中では、あかりもともされず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、18:24また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである。
なぜ「殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである。」?昔ロマ・カトリック教が多くのの聖徒を殺したが、いまになって、これらのことも全部隠された。所で審判の時に、全部明白にされる。どうやって預言者や聖徒の血を流されたのでしょか?
だから前で言う;聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。
  十八章の全体がバビロンへの刑罰を語る;審判の後、十九章の内容がハドマゲドン戦争であり、二十章にはいってから、一回目の甦りを述べる。二十章の前半に、聖徒の審判を語るが、先にクリスチャンを裁き、勝利を得る者が取り去られ、失敗の聖徒が千年の火の池に投げ込まれ、二回目の死の害を受ける。二十章は全部千年の長さに達するほど長い。サタンが底知らぬの穴に入れられてから、火の池に投げ込まれるまでである。
引き続いて;二十一章、二十二章で、聖の都エルサレムの栄光を述べ、もろもろの国と民が聖の都の栄光の中に永遠の神の世界に入ることを語る。
ヨハネの黙示録四章から十九章まで、その内容のすべてが最後の一週の預言を語る。しかし神の永遠の国が二章しか語らなかった。なぜ聖書は最後の一週につき、これほど詳しく書かれるだろう?すべての人間に対し、極めて重要な事である。よく聖書を噛んで読めば分かるであろう。
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