ヨハネの黙示録講義

作者:呉明憲兄弟

第二十一講―ひとりの女が子を宿しており


ヨハネの黙示録十二章1~17節
12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。12:3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。12:4その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。12:6女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。12:7さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、12:8勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。12:9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。12:10その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。12:11兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。12:12それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。12:13龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。12:14しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。12:15へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。12:16しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。12:17龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。

  ヨハネの黙示録十二章では、三つのしるしを話した;第一のしるしは;「婦人」12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。この婦人についての解釈が何だろう?難しいことですが。第二のしるしは;「赤い龍」12:3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。12:4その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。この赤い龍は何を意味ずるのか?第三のしるしは「男の子」 12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。この三つのしるしについて、聖書による説明が有ります。

  まず「赤い龍」の意味をみてみましょう。ヨハネの黙示録12:9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。前の4節の所によって、既に読んだが;その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。だからこの天の星の三分の一とは、龍の使者を指すのです。
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 聖書は「赤い龍」をサタンと論じたので、この幻のしるしの意味には、七つの頭と十の角の赤い龍がサタンである。その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、サタンとそれらを地に投げ落された。3節はしるしで、9節がそのしるしを説明する。神によって、このような解釈をされたので、問題がありません。では赤い龍がサタンを意味する事が分かった。

  この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、エデンのエバを惑わすへびであった。当時のへびには四本の足があって、古へびと呼ばれ、呪われてから、脚がなくなった。腹で這い歩き。

創世記3:14主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。

 もし我々はへびに四本の足を付け加えて、中国の諺による「画蛇添足」に合わせれば、間違いなく、あのへびは龍と成って、龍とは、4本の足を付け加えられるヘびである。

  ではヨハネの黙示録には、この古蛇が出現した時にも四本の足があるので、巨大な龍と言い、又サタンと呼ばれた。彼は全世界を惑わす年を経たもので、実に人間の心中に、働く邪霊である。

エペソ人への手紙2:2かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

 サタンは常に不従順の子らの中に今も働いている霊である。中国の感じの霊魂の「魂」の左右の組み合わせによる構造で、左に云で、漢字の意味が話しであり、右に鬼で、鬼が話しをする意味。要するに鬼常にが貴方の心に話している、貴方がその話しに従い続ける。だからヨハネの黙示録によって、このサタンが全世界を惑わすと言う。

サタンが地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。この言葉によって、「その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した」を解釈できた。即ち、天にある三分の一の使者がサタンと一緒に逆らうこととなって、天の星とは、天使のことを指すのです。

イザヤ書によって、サタンについての説明;
  イザヤ書14:11あなたの栄華とあなたの琴の音は陰府に落ちてしまった。うじはあなたの下に敷かれ、みみずはあなたをおおっている。14:12黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。

  エゼキエル書28:11また主の言葉がわたしに臨んだ、28:12「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神はこう言われる、あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。

 表向きにツロの王のために悲しみの歌をのべるのですが、内容をよく見れば、分かるように、肉体生命のある人間を意味するものではない。

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 引き続き:
 エゼキエル書28:13あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。

 上記の聖書の言葉によって、人間を指して言うものではない事を確認できる。彼は神の園エデンにあって、十種類のダイヤを彼に備えた。そして、下記の聖書によって、もっと詳しくなるだろう。

 28:14わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。

上記の聖書まで読むと、サタンが守護のケルブである事がわかったが、守護のケルブが天使であり、契約の箱を守護するケルブが二つしかなかった。神に最も近いことで、契約の箱を守護する二つのケルブには、それぞれ右側に左側にあります。サタンは神によって、一番目に創造される天使であるので、黎明の子、明けの明星と呼ばれる。

 イザヤ書14:12黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。14:13あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、14:14雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。14:15しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。

こちらは非常にはっきり話しているのが、サタンを指して言う。「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき」;神の星とは、天使の事である。聖書の言葉を理解するのに、聖書の説明を頼りにしなければならない。神は自ら説明解釈をする為である。だから、聖書を熟読しなければ、神の言葉を理解するのに難しい。ヨハネの黙示録による星の三分の一と言う意味は、天使の三分の一を意味する。この三分の一の天使がサタンによって、管理される。聖書によって、三つの天使の長が紹介された。

ガブリエル、ミカエル・ルシフの三つだが、ルシフ=サタンである。三つの天使の長がいるので、すべての天使が三部分に分けられ、それぞれの三分の一を管理する。しかし三つの天使の長の間に最も偉いのがサタンであり、後に御使いのかしらミカエルがモーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。なぜなら、サタンが逆らう前に、ミカエルの上司だった。ヨハネの黙示録まで、天の星の三分の一即ち=天使の三分の一がサタンの使であるため、サタンと共に地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
ではどうして七つの頭と十の角とがあり?これから十三章で、詳しく紹介される。この七つの頭と十の角とは、復興のロマー帝国である。人類の最後の一週の時に、サタンが復興のロマー帝国を通じて、敵キリストが現れることになる。此方でこの赤い龍を説明する為に、第十二章、十三章、十七章を照らし合わせて読む必要があります。
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  ヨハネの黙示録13:1わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。

  この獣には角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。これは、歴史にある七人のロマー皇帝シザは神だと自称するが、ロマー帝国には、十二人の皇帝シザがいて、自分を神だと自称するのが六人である。引き続き、下記の聖書をよみましょう;

17:3御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。

ヨハネの黙示録17:8あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。

17:7すると、御使はわたしに言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。

この女は一体何者であろう;

17:9ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。

この女は大いなる都である。

17:18あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。

歴史上、この大いなる都は地の王たちを支配したことがあります。上記の内容を見ると、該当する範囲が狭くなり、この条件に合う都が見つけやすくなる。即ち地の王たちを支配し、又七つの山に座っている都が全世界には只ロマーだけである。

  ロマーにはニックネームがあり、「七つ山の都」であり、七つ山には、それぞれ名前が有る。この証拠による分析から、あのひとりの女が赤い獣に乗っているのは、ロマーであり、獣がロマー帝国である。ヨハネの黙示録の内容によって、人類の終わり近い頃に、復興のロマー帝国が出現し、即ち、今のヨーロッパ連合である。

 

ダニエル書による述べるその像は、四つの帝国を示され、一、バビロン帝国、二、波斯、三、ギリシャ、四、東西ロマー帝国である。

2:41あなたはその足と足の指を見られましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。しかしあなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、その国には鉄の強さがあるでしょう。

像の足と足の指にその一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。歴史による記載で、西暦1453年15世紀の時に

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  ロマー帝国が多くの国家に分裂された。その足と足の指を見られましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。しかしあなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、その国には鉄の強さがあるでしょう。本質上、依然ロマー帝国である事に変わりありません。

  ダニエル書2:37王よ、あなたは諸王の王であって、天の神はあなたに国と力と勢いと栄えとを賜い、2:38また人の子ら、野の獣、空の鳥はどこにいるものでも、皆これをあなたの手に与えて、ことごとく治めさせられました。あなたはあの金の頭です。2:39あなたの後にあなたに劣る一つの国が起ります。また第三に青銅の国が起って、全世界を治めるようになります。2:40第四の国は鉄のように強いでしょう。鉄はよくすべての物をこわし砕くからです。鉄がこれらをことごとく打ち砕くように、その国はこわし砕くでしょう。2:41あなたはその足と足の指を見られましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。しかしあなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、その国には鉄の強さがあるでしょう。2:42その足の指の一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。2:43あなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、それらは婚姻によって、互に混ざるでしょう。しかし鉄と粘土とは相混じらないように、かれとこれと相合することはありません。

  今のヨーロッパ連合とは、復興されるロマー帝国のことであり、将来に再びローマー帝国と呼ばれるでしょう。実に約50年前にヨーロッパ諸国がオランダの南の都バシツイコのヨーロッパ連合を目指す契約の表の封面にはロマー条約と書かれ、バシツイコと呼ばれる。

  これこそヨハネの黙示録にある七つの頭と十の角の奥密である。これも復興のロマー帝国と言い、即ち、人類の最後の一週の時にサタンは敵キリストを通じて、行う大きな仕業である。今はもうはっきりしているが、七つの頭とは、七人の王で、自分を神だと自称する七人の王であり、十の角の奥密がヨーロッパの諸国の王である。

  ヨハネの黙示録十二章にある赤い龍はサタンで、すべての悪魔の父でもあるが、十三章にある海から上がってくるのが、敵キリストで、サタンの子でもある。聖の父と御子が一体であり、サタンと悪魔の子も一体である。ですので、十二章にある七つの頭と十の角の龍とは、サタンのことで、十三章で、十角と七つの頭の獣とは、敵キリストである。そして、十七章にある赤い七つの頭と十の角の獣とは、復興されるロマー帝国のことである。

  多分赤い龍の意味を理解出来たと思うが、「婦人」と「男の子」の意味を探りましょう。

ヨハネの黙示録12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。

  この婦人は誰を生んだでしょうか?

12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。

ではこの婦人についての解釈とは?

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  「男の子」の意味は何でしょうか?先ず「男の子」の意味を理解してから、「婦人」の事を説明する事が出来ます。

  聖書には「男の子」についての手かがりが有るでしょうか?答えは有ります。

12:17龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。12:18そして、海の砂の上に立った。

  聖書による説明は、女の残りの子らとは、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちにある。ユダヤ人がモーセ五書にあるモーセ律法を守るが、即ち、豚肉を食わない、旧約聖書の規定にそって、安息日を守るが、クリスチャンはイエスのあかしを持っているである。ユダヤ人は主イエスの証しを持っていないので、主イエスの再来の時に悔い改めるであろう。

  ローマ人への手紙11:25兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、11:26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

  ヨハネの黙示録の十二章17節にある婦人と女の残りの子らとは、クリスチャンとユダヤ人である。そして「男の子と女の残りの子ら」を組み合わせて考えましょう;男の子は婦人によって、生まれた、女の残りの子らも婦人が生んだが、では「男の子と女の残りの子ら」とはどこか異なるでしょうか?ちょっとお聞きしたいですが;この男の子はクリスチャンですか?神の戒めを守るでしょうか?又女の残りの子らはクリスチャンですか?神の戒めを守るでしょうか?勿論言うまでもないですが、同じである。しかし異なる所は、この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられたが、残りの子らは、取り残され、地上で、龍によって、迫害される。龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。

  だからお分かりでしょう?男の子とは、特別に主の証しを持っているクリスチャンと神の戒めを守るユダヤ人であり、即ち勝利を得るものである。女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。

  前の七章の時に、既に大きな災難の前に、勝利を得る者が取り去られることを説明したが、

7:3「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。

  これら神の僕らの額に印をおされる;

7:4わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。

  もう一度説明しますが、これは主の再来の時にある勝利をえるものであり、歴代の勝利者ではありません。

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  「地と海と木とをそこなってはならない」。これは、すでに人類の最後の一週に入り、残り三年半のちょっと前の時期に近付いた。本当の大きな災難が臨む時に、地と海と木と海のすべてが裁かれるため、七つの印と七つのラッパと七つのつぼなどがあて、即ちすべて裁きによるものである。

   大きな災難の前、即ち裁く前に勝利を得る者が取り去られるが、イスラエル人には十四万四千人が取り去られるが、では異邦人はどれぐらいあるでしょうか?

ヨハネの黙示録7:9その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、

  上記の聖書によって、このあらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆がイスラエル人ではない

  すべての大きな災難時期が三年半の長さで

ヨハネの黙示録12:6女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

  千二百六十日。ユダヤ人のカレンダによると、一年は360日であるので、1260日は丁度三年半になる。引き続き;

  ヨハネの黙示録12:14しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。

  一年、二年、また、半年の間とは、三年半のことである。言い換えれば、龍によって、迫害される三年半の間に、婦人は生んだ男の子が、この世にいなかった。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。女は自分の場所である荒野に飛んで行くために三年半の間、神により、養われることになっていた

  我々はこの男の子が勝利を得る者だと確認できる、大きな災難が臨む前に取り去られる。

では婦人とは、何の意味をするのですか?只教会だけですか?先ずこの婦人の身元の確認をしてから、次にこの言葉を分析しましょう;「大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。」こうすると、歪むことにならない。

   注意してください;この婦人とは、「神の戒めを守りと主イエスの証しをもっている聖徒を指して言うのです。これらの人々の全部の人数の総計はこの婦人の意味を意味するのです。

特に注意する所、この婦人がパウロ、ペテロ、ヨハネ……既に死んだ勝利を得る者まで含まれますか?との事ですが、勿論含まれていません。ここで、龍がパウロ、ペテロ、ヨハネを迫害するはずがない。彼らの肉体生命が既に死んでいた。

12:4その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。

   龍が地上に投げ落とした。しかも肉体生命が既に死んでいた勝利を得る者と、勝利を得ていない者とがこの婦人に含まれていない。彼らは地下の陰府にはいるので、彼らを迫害する事が出来ない。

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   ヨハネの黙示録12:15へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。12:16しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。

  上記の聖書を読むと、当時にあるすべての迫害が地上で行われると確信できる。この龍が最後の一週の時で、地上に投げ落とされたのです。彼らは迫害する対象がこの婦人にある。迫害される主な原因は、主の証しを持っているもとクリスチャンと、神の戒めを守るユダヤ人である。しかし、この二種類の人の間に、男の人が既に神のみもとに、その御座のところに、引き上げられたので、迫害ができない。簡単にいえば、最後の一週の時、サタンはクリスチャンを迫害し始め、敵キリストが出現する時に、すべて地上に残るクリスチャンと教会Mユダヤ教徒の総計はこの婦人のことを意味する。この婦人は誰であるかもうお分かりでしょう。

  そして、12章4節からー龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。この婦人を示す意味が既に死んだ歴代のクリスチャンの事ではなく、最後の一週の時、まだ地上に残って生きるすべてのユダヤ教徒とクリスチャンの人を指して言うのである。

女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。

  婦人は総合の意味で、残りの子らとは、一部分の意味で、又この一部分による分ける一部分である。

  そして、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。

 だから龍は、17節にある女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、自分の場所である荒野に飛んでいけない神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。

  この神のの幻によって、残りのこらと男の子とが全部この婦人からでてくるのだが、十七章にあるひとりの女が赤い獣に乗っていることについて、この女とは全く異なる意味を理解する必要が有ります。

  今までの説明を読んで、恐らく、「婦人」【男の子】「赤い龍」について、ご理解が出来るだろうと思いますが、引き続き進みましょう

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12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。

  ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていたというのは、何の意味ですか?

 神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちを意味する。そうであれば、「太陽」とは、何を意味する?クリスチャンにとって、よく見えるのが、神の言葉によって、感動させ、神の光に照らされるので、この太陽の意味は、基督を意味し、基督が光であって、神の言によって教会を光照らす。だからヨハネの黙示録まで、神は私達に教会の成長のポイントが聖書だと教えて下さる。では、月とは、月が神の言を反射する意味です。例えば、私は今日のように聖書の言葉を説教する事が、神の言を反射する事になります。だから、この月とは、聖書の教師、予言者、牧師等をさして言われる。

  神は直接聖書を通じて、言われる。キリストは神の言で、すべての教会の使者が神の言を反射すべきである。自分なりの言葉がない筈である。月には発光する能力がないので、月から発光出来るのが、太陽の光を反射する為である。「太陽を着て、足の下に月を踏み」について、特に教会を指していうのです。

エペソ人への手紙4:11そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。4:12それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、

これらの人が月であり、神の言を反射し、聖徒達に神の言葉を述べ伝える。しかし 注意すべきことば;

ガラテヤ人への手紙1:8しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。

解釈した通りに、我々は月であるが、自己発光が出来ない為、自己の意見もなく、ことばもなく、すべて、聖書の教えの通りに、只聖書の意味を勉強し、神の言の真意を述べ伝えるのです。だから この太陽を着て、足の下に月を踏みの太陽と月とは、神の言を意味し、光とは、基督であり、神の一人子である。

ヨハネによる福音書1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2この言は初めに神と共にあった。

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 月が只神の言を反射するだけで、聖書は言う事を私達がそのまま伝えれば、大事ですが、月には、自分から発光が出来なく、すべての光が太陽から出るものです。だから聖書の言葉を述べ伝える時に、私は何とおもうということではなく、聖書の純正な真理を間違いなく伝えるべきではないか?例えば、私は古蛇が昔の時代に一匹蛇だけだと思って言えば、皆がそれを気にすることがないが、私はすべて聖書の言う通りに伝える。必ず勝手に神の言を解釈してはいません。ということによって、神の僕としても、自分なりの意見がない筈ですが、基督以外に、何もかもィ今sん、基督だけ認識をしている、我々にして述べ伝える事は、神の真理以外には何もありませんと私は思って実行しているのです。これこそ 太陽を着て、足の下に月を踏みである。

  「その頭に十二の星の冠をかぶっていた」とは、聖書に「十二星」が出現する所を見て見ましょう;

  創世記37:9ヨセフはまた一つの夢を見て、それを兄弟たちに語って言った、「わたしはまた夢を見ました。日と月と十一の星とがわたしを拝みました」。

   十一の星とは、誰の事を言うのですか?

 37:10彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、「あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。

  10節による十一の星についての説明をしたが、ヤコブの十一人の息子であった。では、なぜヨハネの黙示録には十二の星と言うのですか?それはヨセフを入れていなかったためだった。

  だから十二の星とは、イスラエルの十二部族を指して言うのである。今もうはっきりお分かるだろうと思いますが、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていたと言う意味は、基督教会とユダヤ教を意味し、ひとりの女が太陽を着てとは、前で説明した通りに、人類の終わりの最後の一週、主が再来の時に、地上に生きるクリスチャンとユダヤ教徒である。

  次を見ます;

12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。

今の世代には、台風、水の災い、餓え飢饉、戦争、神罰、自信、伝染病、色々の災難がありますが、色んな困難な環境下で、神の言葉によって、勝利を得る者の出現が待ち望んでいるが、教会にとって、兄弟姉妹達の力によって、共同で

苦労をしながら、自分の考えを捨て、神の教えに従い、犠牲や代価を払う必要がある。これは、「この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいたと言う言葉の意味である。

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  この女より生んだ男の子のことですが、人類の終わりの最後の一週、主が再来の時に、地上に生きるクリスチャンとユダヤ教徒の中に生まれた極僅かな勝利を得るものである。

その以外のクリスチャンとユダヤ教徒であれば、異邦人がゴルフをやれば、彼らもやるが、遊びの為に、日曜日でも教会に行かない、主イエス・キリストを信じていない人と同じである。しかし勝利を得る者と成りたければ、貴方の人生は必ず困難や苦労や攻撃に出会ったり、代価を払わなければ成り立たない。「この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいたともっと深入りの解釈をすれば、最後の一週の時に、そのとてつもなく大きな災難の最後の三年半の時期の前に、神によって、ある人群れの聖徒=男の子が取り去られる意味。

  12:3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。12:4その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。

   上記の聖書を教えて下さるのが「それらを地に投げ落した」と「龍は子を産もうとしている女の前に立ち」というのは、サタンが、地上に居ること、要するに、天にも居ないし、地下にも居ない。

  ヨハネの黙示録は一巻の開いた聖書であり、サタンの居る場所を明白に説明しているので、サタンの聖徒に対する迫害の出来る場所が地上に限られることになる。既に陰門に寝ていた聖徒を含まれていない。

  「龍は子を産もうとしている女の前に立ち」という場所は、同じ場所を指して言う。これがはっきりする地上にいる証拠で、正しい解釈と説明をしなければならない。

  次に「生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。」これは下記の聖書に当てはまる;

ペテロの第一の手紙5:8身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。

 サタンが 勝利を得る者を食いつくしたいだけではなく、聖徒達のすべてを食い尽くしたい。サタンにとって、最も恐れるのは、勝利を得る者であり、勝利を得る者というのは、サタンに勝るので。教会にある勝利を得る者を食い尽くせば、教会には目のない人と同じように、神を認識する事が出来なくなり、教会にある兄弟姉妹の信仰が悪くなり、新しい人になれることができない。遂に教会も塩や光に成れなくなる。

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「だから龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。」

 悪魔が最も食い尽くしたいのは勝利を得る者を食い尽くすので、勝利を得る者の産みの苦しみと悩みがあって、泣き叫んでいた。と言うことによって、敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っていることに目を覚まさなければならない。聖書によって、サタンが全世界を惑わす年を経たへびであるため、貴方の中で運行することによって、貴方に牧師や兄弟を裁かせたり、批判したりをする、我々を喧嘩し合わさせ、魂に汚れがついてから、貴方を食いつくす。特に勝利を得る者を食い尽くせば、教会に大きな打撃を与える。特に勝利となれるように説教を続ける宣教者の場合、攻撃のターゲットと成りやすいが、その説教を聞く人々であれば、同じ様にされる。

  多くの教会では、勝利を得る説教内容を言わない。多数の牧師から勝利を得るメッセージを聞いたことがない。更にもっと多くの牧師は、貴方に勝利を得ていないければ、地獄の火の池に投げ込まれることになると言わなかった。勝利を得る者になれという教えは、ヨハネの黙示録だけではなく、聖書の中に、創世記からヨハネの黙示録まで、よく教えてあるが多くの教会がそれを言わない。兄弟達よ、勝利を得るものがサタンの敵である事を理解しなければならない。だから我々は必ず目を覚まし、牧師と一緒に神の福音を盛り上げられる世に、その時に敵のサタンが必ず攻撃を仕掛けてくるのが、間違いないのです。しかし 怖がるな、主イエス・キリストが我々と共におるので、我慢強く出来る信仰を育てるように頑張りなさい。

  だから人間が常に一生の計画、家庭生活、事業計画の為に、管轄され、自由自在に動けないかもしれないが、もしその強い信仰があって、主のことを信ずれば、必ず何時も主を第一に考え、主の悦納を得られる行いをすれば、間違いなく、主のご祝福を賜って下さる。しかし、今の世代には、勝利を得る者の出現が中々難しいだろう。

  12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。

  この子は=勝利を得る者は神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。これらの勝利を得るものが、将来では、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。だから勝利を得る者の権威には、とても権勢的である。

  12:6女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

  イスラエルのカレンダーは、一年に360日があって、掛ける3年半=1260日で、三年半のことである。

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  では「荒野」とは、どんな所でしょうか?経済活動のない所であれば、荒野と言う。前では、説明した敵キリスト(666)と言う獣が出現される予言によって、この人が出れば、すべてのクリスチャンとユダヤ教の敵と成り、すべての聖徒達に迫害を付け加える。額にこの獣の印がない人であれば、食べ物やすべての物を買うこともできないし、売ることもできない。

  ヨハネの黙示録3:16また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、13:17この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。

  「物を買うことも売ることもできないようにした」。聖徒にとって、これは極めて大変なことです。迫害するとは、肉体だけではなく、霊魂まで迫害をしようと企みである。肉体の苦しみに耐え出来なければ、屈してしまうので、餓え也寒さに忍耐強く出来なければ、霊魂まで失うことになる。獣の印を受け入れなければ、銀行にお金が有っても使えない。クレジットカードがなければ、現金もない場合、買い売り出来なくなる。だから貧しくなる。貴方にはすべての経済活動が中止を選らざるを得ない時に、神は迫害を受ける聖徒の為に、荒野と言う所を用意して下さる。荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。

  しかし荒野にはコンビニーがなく、レストランもなく、何の経済活動もない所で、自給自足する。自分で鶏や鴨や豚菜などを飼って、野菜や果物を植えたりし、この様な暮らしで、1260日も過ごさなければならない。しかし全部の聖徒が逃げ切り出来るわけでないので、後で説明するので、我慢してください。

  12:7さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、

  天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのであるが、サタンが負けた為、天にはサタンの居所がなくなるので、地上に投げ落とした。

  では、サタンが現在どこにいるでしょう?

エペソ人への手紙6:12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

だから、悪にサタンがまだ天上にいる。

神はおおぞらを天と名づけられ

創世記1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

  この天とは、空気の意味で、大気圏の中にある、サタンがそこで、企みを動かすのだ。

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  エゼキエル書28:17あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。

  大気圏の中にある、サタンがそこで、企みを動かすので、わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

  天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、サタンが勝てなかったので、そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。

  しかし敵キリストと主イエス・キリストの戦争がまだ始まっていない、それは最後の一週の後半の最後になって、起こることである。ここで、「男の子」が取り去られ、「婦人」が荒野に逃げ込み、ミカエルとその御使たちとが、龍と戦った後、龍が勝てなくて、もはや天には彼らのおる所がなくなった。

  12:9この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。

  悪魔と使たちも「地上に」投げ落とした。この戦争による、 サタンとその使たちも「地上に」投げ落とした。ここの言葉も4節の言葉に照らし合わすと、「その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。」「投げ落としとは、外の力によって、倒される意味で、自分で転んだことではない。

  4節には、悪魔と使たちが地上に投げ落としたが、7,8,9節になってから、どうやって投げ落とされたかを説明した。

  12:10その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。

  上記の十二章10節まで、大きな声が天でこう言うのを聞いた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者であるサタンが地上に投げ落した。もう1け所の聖書を読みましょう;

ヨブ記1:8主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。

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1:9サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。1:10あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。1:11しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。

  サタンはわれらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、そして常に我々の心の中で、我らの兄弟姉妹を訴える者である。寝る前に貴方の心で訴えるだけでなく、寝てから、貴方の夢の中で訴える、正に夜昼に関わらずに訴えてる。聖書によって、明白に述べているので、真実な事に間違いがない。なにしろ、神の言は霊であり、命である。普通、霊のことを知らない人間にとって、全く理解できないかもしれないが、勝利を得る者になれるように向かって頑張れば、必ず体験が出来る。

  われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったが勝てなかったので、地上に投げ落された。

  次の聖書によって、勝利を得る者がどうやって生まれた?

12:11兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

  勝利を得る者は、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、この彼らのあかしのことばとによってというのは、神のことばである。

ヨハネによる福音書1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。1:2この言は初めに神と共にあった。

クリスチャンにとっての頼りが基督の救い(小羊の血)と神の言によって、サタンに打ち勝つ事が出来る。小羊のちが既にあったが、福音を心より受け入れれば、よいのですが、神のあかしの言葉とによってというのは、

ヨハネによる福音書14:21わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

もし神戒めを心に抱かなければ、神の戒めをどうやって守られるでしょうか?神は既におしえてくださったのですが、サタンが夜昼われらの神の御前で我らを訴えるのである。もし貴方が神の言を心に抱ければ、サタンが我らの心で、訴えようとしたら、その時の貴方は神の言を聞き入れるか?或いは、サタンの訴えを受け入れるか?どっちを受け入れることによって、肉体生命も霊魂生命も異なるであろう。もし貴方が神の言を受け入れれば、必ず、サタンを断って、私の兄弟が好い人であるそして、主の御名によって、下がりなさい、と命令するでしょう。この守りによって、貴方の身体に一つの順服がうまれ、神の言を生みだすことになる。

 

例えば、我々は教会に仕えるパートナであり、礼拝が終わり、会食の為に、用意される弁当があったが、豊富ではなかったので、誰かケチくさいこんなものが食えるか文句を言いだした。もし 通常通りに豊富な愛の宴の会食を用意したら、又誰から今の時期になぜこうしなければならないのか?インフルエンザの流行る時期なのにと文句を言われるかもしれない。

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  そうなると、もしどっちでもよくなければ、では、会食を止めましょう、もう文句がでないだろうが、貴方の心の中で、サタンが又訴える;教会には愛がないではないか?インフルエンザの件で言い訳にして、お食事の用意もしてもらえない、本当に愛がないときつい言葉が出る。人間が本当に難しいが、これもすべてサタンから運行されるのです。

しかし既に神の教えによって、;われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者はサタンであることを認識できたら、素直で教会に合わせて、従うのが大事です。

兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉ととによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。私達は勝利を得る者と成りたければ、必ず基督にお救いに依らなければならない;「小羊の血」とは、救いを得るを意味し、彼らのあかしの言葉ととによってとは、勝利を得る者となる。我々は救いだけ得ればよかろうということではなく、更に神の言を自分のおこないによって、活きださなければならない。これこそ勝利を得る者となる。しかしもし神を認識できないなら、神の言を生かすことができないだろう。

引き続き;彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。ダニエルの三人の友人が正に彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

 

ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。これをバビロン州のドラの平野に立てた。

そしてネブカデネザル王は、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちを召し集め、ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした。バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、メシャクおよびアベデネゴの三人が金の像を拝みに断った。そして、次の言葉を述べた;

ダニエル書3:16シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。3:17もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。3:18たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。

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 「たといそうでなくても」−その火の燃える炉に投げ込まれても、あなたの立てた金の像を拝みません。これこそ「彼らのあかしの言葉とによって」である。

 今週の教会では、豚のインフルエンザのせいで、人が比較少なかったが、しかし毎週の土曜日に平均的に陳兄弟の家の家庭礼拝に参加する四十数人があるが、先週いくら豚のインフルエンザの影響があっても、まさか最高の五十一人も登った。その中に2人が新幹線で来られた。毎日新幹線に乗る人数がどれぐらい多いがご存じだと思いますが、神の祝福が有って、陳兄弟の腎臓には透析が必要であっても主を愛する気持ちが誰にも負けない自負がある。しかし例え;豚のインフルエンザの流行時期であっても、主への賛美と拝みが必要である。だから神の光照らしによって、51人にものぼった。腎臓の透析を受ける人であれば、万が一に豚インフルエンザに移されれば、どんなに大変であろうか?想像が付くが、たとい死んでも集会を参加する。

 はっきり言えば、今 豚インフルエンザの流行に当たる時期なのに、誰でもできるだけ多くの人を自分の家に迎え入れることがしないだろう。小さいの客間に多くの人が集まって、肩と肩をならべるようなことを今から考えると、ゾウットしまう。普通、三週間の休みをとらせていただきますと宣言してもおかしくはない。しかしこの聖書の言葉によって、改めてしっかり覚えた;

 12:11兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

 12:12それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。

天にはもう悪魔のいる場所がなくなった。地上に投げ落とされた彼が、海に向って行った。人類の最後の一週の時に地上と海に災いが降りるので、勝利を得る者になれれば、取り去られてほしい。

12:13龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。

ここで、龍がまだ地上にいきる聖徒達に獣の印を受けるように迫害する。これからの十三章から、サタンからの恐ろしい迫害に出会う聖徒達の苛めである。
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 12:14しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。
  14節と6節の女は荒野へ逃げて行ったとは同じ意味で、そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
  「自分の場所である荒野に飛んで行く」と「荒野へ逃げて行った」について、一致する意味です。この女が荒野に逃げていく時に、かみより大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれる。
  荒野とは、恐らく、飛行機でなければいけないと事だと思いますが、非常にへんぴなところであろう。女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。
  12:15へびは女の後に水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。12:16しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。
  上記の女のいる場所が、恐らく水に関係のある所ではないか?流されていく時に、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。
  最後の三年半の大きな災難で、多くの聖徒らが、この想像もつかない災難に落ちいつであろう。龍が洪水を興し、聖徒らを飲み込もうとしたが、神から助けによって、 地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。
  12:17龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
  戦いをいどむために、出て行った。この海は地中海であるが、上記の聖書によつろ、恐らくこの恐ろしい災難の時に、海に近づかない方がよかろう。そしてできるだけ、山の方に行った方が宜しいでしょうか。
  マタイによる福音書24:16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
ヨハネの黙示録13:1わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。

 ヨハネの黙示録では、サタンは大きな苦難の時に、聖徒を迫害することを述べるが、十三章では、 いかにして、聖徒達を迫害するのですかについて、解釈をする。

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