ヨハネの黙示録十一章15〜19節
11:15第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。11:16そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、11:17「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。11:18諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」。11:19そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。
11:15第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。
七号のラッパを吹き鳴らした時は、パウロのコリント人への第一の手紙による書かれる時期のことである。
コリント人への第一の手紙15:52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
《死人は朽ちない者によみがえらされ》とは、すべて肉体生命が死んだ聖徒の甦りを意味する。これとマタイ福音書;
マタイによる福音書25:6夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。25:7そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。25:8ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。25:9すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。25:10彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。25:11そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。25:12しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
兄弟達 その日、誰も油を貸してくれないのです。恐らく同じ様な回答をうけるでしょう;『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
しかし今日私達が油を売る方です。今日西暦2010年で主イエス・キリストの国がこの世界に置いて既に2010年となった。主イエス・キリストの国はもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。
ダニエル書2:44それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。
これこそ、わが主と主イエス・キリストの国がとっくに存在した。ダニエルの予言が二千六百年前でした。主イエス・キリストがまだ生まれていない時期に、この予言をされた。予言によって、もろもろの国の王が居た時に、主の国がとっくに存在した。中外歴史を読めば、歴史上に存在する王であれば、自分の年号があるが、しかしこれらの王の年号の下に必ず主イエス・キリストの年号が付け加える。
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そうすると歴史を読む人はそれがどんな年代であるか理解できる。『例えば平成22年=2010年』。
この予言の後半では、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼす時は、正にこの時期にある。
コリント人への第一の手紙15:52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
それもヨハネの黙示録の十七章で、予言が実現される。聖書は物凄いで、ダニエル書の予言がヨハネの黙示録で実現される。我々は最後の一週の前に居ながら、子供だけこの大きな災難に直面する可能性があるだけではなく、私も直面する可能性が有ります。だからくれぐれも目を覚ましなさい。
11:16そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、11:17「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。
今全能者にして主なる神は既に大いなる御力をふるって支配なさったが、まだ表に現していないので、地上には依然として多くの不法がある。しかしその日になると;、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいることが実現となる。
コリント人への第一の手紙15:52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
ローマ人への手紙8:18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。8:19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。8:20なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、8:21かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
「神の子たち」とは、どこか偉いですか?と我々のように神に仕える人と勝利を得る者に路上で、出会っても全然気にしないという現世の人だが、有名の芸能人を成田空港まで、出迎えるとか?サインを必死で追い求めるとか?まさか月とすっぽんの差です。しかし我々は永世にある地位がこの世の大統領よりも百倍以上が偉い。栄光に耀くだろう。大統領の任期が四年で、旨く再選されれば、合計8年となるが。永世の勝利を得る者が永遠に王となるであろう。
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ある日、神の子の出現―この七号のラッパを吹き鳴らす時に;
11:18諸国民は怒り狂いましたが、あなたも怒りをあらわされました。そして、死人をさばき、あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」。
「なぜ諸国民は怒り狂いました」。主の再来に当たって、諸国民がむなしい事をたくらむ地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う
詩篇2:1なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。2:2地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、2:3「われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう」と。2:4天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう。
神の全能の力によって、これらの人々が永遠に苦しみであろう。
あなたも怒りをあらわされました。そして、死人を裁き始める。前で述べた事が有るが、死人が甦り、甦ってから、裁きを受ける。
【あなたの僕なる預言者、聖徒、小さき者も、大いなる者も、すべて御名をおそれる者たちに報いを与え】
大いなる者に報いを与え、小さき者に何をえられる?小さき者とは、救いを受け入れるだけで、特別な表現を行っていないクリスチャンであるが、ある日、牧師に一杯の水をご馳走にしたので、神は将来この人に報いを与えなければならない。
マタイによる福音書10:42わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
霊のあることは極めて奇妙なことであるが、一群の人々はある特別な山に行って、山には多くの石があって、横の看板に書いてある取っていたら、後悔するが、取っていなければ後悔するという文字を見て、石を取る人もいて、取らない人もいる、少ししか取らない人もいた。家に戻ってから、出してみると、石だったのに、タイヤや、翡翠や赤いとブルのタイヤに変えてしまった。石を採らない人、や少ししか取っていない人が胸に悔しさいっぱいだった。この宝の山は、神の国である。
我々は現世で、お水を出しても後悔し、お水を出さなくても後悔するが、非常に理解しやすいことで、一杯の水を出すだけで、神から報いを与えて下さる。だからいくら小さき者も主イエス・キリストの中に仕えをすれば、神の前で、記念されるし、報いをお与え下さるであろう。
今、最も価値のある働きが神に仕える事です。主の為に全身全霊を奉げるのが賢いのです。
引き続き;すべて御名をおそれる者たちに報いを与え、また、地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました」。【地を滅ぼす者ども】とは、悪魔と黒闇の道の人を意味する。即ち一切神の真理を乱れる地上の宗教のこと、いくら善の看板を建てていても、神は彼らを滅ぼして下さる
11:19そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。
天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。この文字から推測すると好い事か悪い事でしょうか?通常至聖所に置かれる契約の箱には罪人が見る事が出来ないので、よく考えれば、神はこの世界の罪人を裁くであろう。だから神の怒りの時に天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が罪人に見えるようにさせる。契約の箱に三つの者が入っているー十の契約の板、アロンのつえ、マナが入る金のつぼがある。
民数記16:33一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」
法版とは、十の戒めである、神は人類を裁く時に、あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。父と母を敬えたか?は隣人について偽証してはならない、隣人の家をむさぼってはならない。これは神と人間の契約で、しかし人間では、この契約を守る力が出来ないので、アロンのつえにある芽をふきによることで、即ちだれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない。また金のつぼにあるマナとは、神の命を表し、基督の言である。即ち;
ヨハネによる福音書6:51わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。6:63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
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クリスチャンは契約の箱を守り、頼りにしているのが新しく生まれることです。即ち
アロンのつえにある芽をふきによることで、生命を得ると呼ぶ。そして金のつぼにあっるマナによって、更に豊富な命を得ることである。
ヨハネによる福音書10:10盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
こうするように神との契約を心にしまっといて、やっと実行にできる。こうしないと、神の契約の箱が出てくれば、即ち裁きであるーいなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。
引き続き、最も大きく、最後の一つの災難で、七号のラッパを吹き鳴らすことによって、三番目の大災難がくる。一旦第七号のラッパを吹き鳴らしたら、七つのつぼが順番に地上に転ぶので、天から下りる災難が益々大きくなる。
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