聖書ヨハネの黙示録講義(下)作者:呉明憲兄弟


第十八講―小さな巻物




第10章

 10:1わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。10:2彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、10:3ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。10:4七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると、天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。10:5それから、海と地の上に立っているのをわたしが見たあの御使は、天にむけて右手を上げ、10:6天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。」10:7第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。10:8すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。10:9そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。10:10わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。10:11その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。

10:1わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。10:2彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、10:3ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。10:4七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると、天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。10:5それから、海と地の上に立っているのをわたしが見たあの御使は、天にむけて右手を上げ、10:6天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。

  上記の聖書によるもうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。これは常に聖書にある主イエスの尊い姿である。


マタイによる福音書17:1六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。17:2ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。

ヨハネの黙示録1:13それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。1:14そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。1:15その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。1:16その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

  

  それではこの「巻き物」は何でしょうか?この巻き物は開かれている巻物である。これは4章にある七つの封印の巻き物とことなるので、後で紹介しましょう。

  そして七つの雷につき、がおのおのその声を発した。七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると、天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。

43  兄弟達 これは神の御心であり、勝手に解釈する必要がない。

ローマ人への手紙11:33ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。11:34「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

  ヨハネの黙示録には七つの雷のみ奥密が解かれていないものである。

この「もう時がない。」と言う言葉はなんでしょうか?

10:7第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。

  この「神の奥義は」とは?

エペソ人への手紙1:22そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。1:23この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

  神の奥義は万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。神の手によって、私達を傑作のようにされ、将来、天と地と全部滅ばされるが、神にとってこの宇宙で何を得ようとしておられるでしょうか?人間は金の鉱山から多くの鉱石を掘り出せ、数多いトラック、人力、設備で、掘り出した鉱石を工場に運び、求める者はなんですか?言うまでもありませんが、勿論鉱石の中にある金のみです。その金をあげだしてから、残った鉱山、人力、設備、トラックなどもう使う必要がなくなる。残されるのが金だけである。これこそ精錬された金こそー精錬される私達のことを神が得ようとしているものです。これは神の奥義です。

 将来、天と地と全部滅ばされるが、新しい天と新しいちと天から降りてくる新しいエルサレムだけ残される。兄弟達 神は精錬される金の様な私達を得ようとしているが、これこそ神の生命の道である。

  ヨハネによる福音書10:10盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。

だから主イエスは肉体に宿った目的が金のように精錬された私達を得ようとするためである。では生命の道とはなんでしょうか?

ヨハネによる福音書17:3永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

 これこそ永遠の命である。生命とは神を認識し、生命とは神の言である。

ヨハネによる福音書6:63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

 もし神の言がなければ、どうやって神を認識できる?神の言によって喜び、善事を行って、戒めを守れ、謙虚するなど、精錬される金の如くのように、神から与えられる永遠の生命を得られるこそ神の奥義である。

  この言葉のように;第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。しかし其の他のこと、必要のないものが何でしょうか?

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  前の6説による「もう時がない。」と言う言葉につき、時とはいつ頃から始まったのですか?

創世記1:14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、

 神は第四日で、天にある万像を創造され、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、そうでなければ、今は何年や月、日などを知る筈がない。

 知識と科学によって第三度空間は長さ、幅、高さの大小長短によって、組み合わせられるもので、時間と言えば、第四度空間と言う。なぜなら第四度空間を時間と言うのでしょうか?「体」は空間であり、多くの面積の物により成り、この本のようにページごとによって、組み合わせて、成ったのです。だから「体」は三度空間、「面」は二度空間、線は一度空間である。線の複数以上に連結すれば、面となり、面の複数以上に連結すれば、体となり、体の連結なら、時間となり、すべての空間変化の連結が時間である。

  映画撮影することに例え:水が一つの空間で、私はこのコップの水を酌んで、地上に落ちて、その上、それが一つ逆らえない変化で、ビデオでそれを写せば、それぞれの1秒ごとの画面はどうやって出来たのでしょうか?水は転んで、一枚をとり、水が再び転んで、もう一枚をとって、水が再び転ぶ、もう一枚……」。一秒間には少なくとも16枚以上のフイルムが必要であってこそ、人の視覚で、やっと一杯の水が転ばされる映像が見えるようになるが、一秒間で32枚のフイルムを使用すれば、画質がよりよくなる。事実上、空間の変化を一秒ほどで、貴方に一つの観念を与える。この観念は第四度空間と言い、即ち時間である。

  どうして時間が過ぎ去る事になる?空間の変化が戻って来れないのです。私が歳とっていき、若さに戻れい。今日の時間が過ぎ去ることと同じで、取り戻す事が出来ない。

「もう時がない。」とは、人が死ぬ事がないし、年取っていかなく時間の観念がなくなるからである。常に人の思い出の話しを聞く事がないようになり、永遠にその姿であり、不変である;何しろ時間の観念が停止となる。例えば、1992年にもどりたければ、容易いもので、全部の同級生が生きていて、歳をとる事もなく、死ぬこともしらない;又当時の教室も存在し、只皆が一集まれば、1992年にある当時の光景がそのまま再現する=これは「「もう時がない。」と言う意味です。

  初めに「もう時がない。」を読んだ時に、まったく理解のできない言葉だったが、そして、創世記の第1章を読んで、それを何回か繰り返して読んで、やっとその観念を知るようになり、これも非常に奇妙な事ではないか?と思います。創世記の1章は空間の変化による時間を説明し、時間の概念を貴方に知ってもらうことである。

  聖書によって、神は「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、」。普通、なんともないと読み終わったが、その後ゆっくり噛めば、神の言葉に智慧が満ちることを認識し、人間の比べる者ではない。

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  皆様にご提案ですが、聖書を読むのにもっと多くの時間を入れた方がよいでしょう。雑誌、新聞、テレビばかり、特に今頃インターネットの時代ですが、大勢の人々はゲームに時間ばかり潰す暮らしを送っている、本当に惜しいこと。その内に必ず聖書の勉強をしてなかった事に後悔するだろう。又政治政党サポータするとか、野球リーグを応援するなど、芸能界のアイドルに惚れるとか、それに気が取られてしまえば、折角の人生もフイにされてしまうのではないか?もし本当に聖書を勉強され、神の事を認識出来れば、何よりも喜ばしいことではないか。これも正真正銘の人生価値観だと思います。即ち勉強も仕事も大事だが、それ以上に聖書を読むことで、神を第一重要だという考えを持つ事が出来れば、何よりも大事です。必ずこの世のならわしに従うことがないように、神の教えに従って、この世界の道を歩きなさい。

エペソ人への手紙2:1さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、2:2かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。

 勉強が多過ぎれば何か得が有るでしょう 。

 伝道の書12:12わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。

  多くの書を作れても、際限がない。多く学べばからだが疲れるし、体調にもよくない。貴方に勉強するなと遊ぶなと言っていないが、聖書を勉強する事が大事ですよと言いたい。これは神の観念であり、人間が到底受け入れがたいかもしれないが、ただし神に素直に従える人が多くはないでしょう。

  聖書の言葉のように空の空とは;

伝道の書9:11わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。9:12人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。

 ある言葉だが;船が通っても跡が残らない。どんな教育制度であっても、何を育てたでしょうか?貴方の霊魂を上品にさせたのか?誰か言うが;籠で井戸の水を採るが、水があげられないが、すくなくともカゴが綺麗になる。所で、教育を受けた籠が綺麗になったでしょうか?多分人間を見れば見るほど分かるのがもっと汚くなるだろう。元々最も残酷なのが人間だから。人間の頭に内蔵される霊魂の汚れで、神の御言葉に依らなければ、100歳まで生きても、綺麗にならない。血の気の人間の弱みには、餓えないと豊かな暮らしを送る為に肉体の貪欲に縛られ、自分の魂に吸収された知識、風俗、習慣、生まれつきの性格など環境にっよてその自我中心の性格が形成され、この世のならわしに従い、肉体の欲望に満たす為に、神から賜る霊のことを気にしなくなり、神から離れ、空中の権をもつ悪魔により意のままに合わせても知らないのです。聖書の言葉がなければ、人間がこの世の価値観の上に一生縛られるのが間違いない
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  10:8すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。10:9そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。10:10わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。10:11その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。上記の言葉による展開される「小さな巻物につき、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならないと言う。

  神は改めて教えて下さった。神の言を言うのにこの小さな巻物を食わなければならない。「小さな巻物」とは聖書のことである。

  願わくは姉妹達に母親になってから、自分の子供に聖書を読ませるのに監督できるように必ず子供用の聖書を買わないように、その内容にが殆ど神の言が入っていないのです。

 小さな巻き物の中に神の言葉である為、一つの文字さえ勝手に加減することができない。 マタイによる福音書24:35天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
簡約される聖書があるが、人間の意思によって、編集されたもので、神の言葉を勝手に濾過修正した。例えば;17講にある「見ることも、聞く事も、歩くこともできない」という神の言葉を全部削除されたのです。神の言であるた為、勝手に修正できない。

子供が小さい時に、記憶力がもっともよい時期に聖書の言葉を多めに脳に記憶すれば、子供の一生にどれほど祝福されるであろう。彼に学校の授業をしないように言うことではなく、同様に努力すればいいだし、又神も智慧と聡明を賜るので、問題なく霊・魂・体のすべてが祝福されるであろう。

  もし私の子供の事を言わなくても、私に限れば、一生の時間にかけて、聖書を完全に覚え、又、前後順番に暗記できるように努力したい。世間の本にそんなに時間をかけて読む必要がありません。それに何か役に立つ事が出来るでしょうか?天地は滅びるであろう。世間の本ものこらないが、しかし神の言葉は滅びることがないー聖書は滅びることがない。

神の言葉を読まない方が多いので、これは非常に墜落の現象である。使徒ヨハネのように小さな巻き物を食うように、神の聖書をすべて食って、それが位の血の糧である; 
  マタイによる福音書4:4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

  前ではヨハネの黙示録第五章を読んだ時に、七つの封印が封印されたが、基督のみその七つの封印を展開する資格がある。即ちそれはヨハネの黙示録である。その主な内容は七つの封印が解かれる。同じように第六号の小さな巻き物を指すのがヨハネの黙示録であるので、第十一章以降、使徒ヨハネが多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならないと言う。

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