聖書ヨハネの黙示録講義ー(上)作者:呉明憲兄弟

第十講義―サルデスにある教会の御使への手



  ヨハネの黙示録3:1サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。3:2目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。3:3だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。3:4しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。3:5勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。3:6耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

  サルデスとは回復する意味である。テアテラ教会から信仰の悪い光景に陥った後に神がマチンルーテルを立ちました。マチンルーテルによる宗教改革は、真理を回復したサルデス教会と呼ばれる。テアテラ教会から現在まで、既に千五百年余りが過ぎた。そして16世紀のサルデス教会から現在まで約五百年余りがあります。
ヨハネの黙示録3:1サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
この「七つの霊」とは七倍を強める霊と言う。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。』神はサギデスのわざをしっている;「すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。」
回復された教会をよくご覧ください;即ち更正教会と言いますが、その教会の光景は如何でしょうか?例えば;台湾の基督長老教会を例に取って言えば、非常に悪い光景に陥ったのである。神は2節で言われた;「3:2目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。」 
 ここで批判や裁きをすることではないが、聖書の言を解明するために、そして神は予言される現在の教会光景を組み合わせて見ると、神の真理を真剣に究めるすべきである。教会と言う場所で英語を勉強出来る所に設けて、かつ政治活動を行うなど、台湾キリスト長老教会は政治に深入りする事を既に周知の事実ですが、更に基督長老教会の牧師さえ出てきて台湾を独立するように呼びかけていた。台湾独立するかしないか基督教会に関係ない筈ではないか?クリスチャンの国はこの地上にあることではないことを知らないでしょうか?主イエスはこの地上に居た時に言われた言葉を読みましょう;

  使徒行伝1:6さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。1:7彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。
 1:8ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
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  イスラエル人が心配していたのは、イスラエル国の復興ですが、主は彼らに言われた;イスラエルが必ず復興するが、その時期や場合は、あなたがたの知る限りではない。
イエス・キリストはこの話しをしてから、約二千年後にたってから、イスラエルはようやく復興できた。
 又主は弟子達に福音を述べ伝える為に出て行きなさい;「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
  主の証しをすることで、イスラエルの復興には心配するな、あれは父がご自分の権威によって定めておられるのであるから。
 イスラエル人にして見れば、心には亡国の苦痛があって、自分の国の復興を心配していても当然であろうが、少なくとも彼らは神の産業ですので、地球にある神の国の代表と言えよう。しかしキリスト教会の牧師であれば、神の僕として、台湾の独立に言及や参入しても意味がない。先ほど読んだ使徒行伝の言葉だが、一人の牧師の最も大事な責任は神の証人となれることである。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
3:2目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。 
 前の一節の内容をもう一度読みましょう;わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
 上記に続いて;目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。
 神の御言葉の通りに、今の更正教会が本当に痛ましく憐れみであり、正に好い行いがなく、忍耐力もないし、謙虚で、頑張るクリスチャンの姿が見えてこない。更正教会に多くの怠け者のクリスチャンが存在している。現在の基督教とは、更正教会;即ちサルデス教会と言いますが、カトリック教とは、テアテラ教会である。
 偶像を拝む異邦の民が毎朝5時に起きて、宗教の行事をこなし、読経を済ませるが、いくら寒くても変わらないのようですが、しかし同じの時間帯で基督教会の信者がどうなんでしょうか?まだベットにいるでしょう。これこそ更正教会の光景であることを認識しなければならない。
カトリック教会には神に真面目に仕える方も結構いるが、更正教会には居るとは言えない。大部分の信者が不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対である。

  ヤコブの手紙4:4不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
  サルデスの更正教会は驕りであって;テアテラのカトリック教会の偶像への拝みに対し、裁きますが、自分の様子が如何なものか?だから神は言われた;目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。 
 教会は神の金の燭台というのですが、この教会が名だけで、実は死んでいる。私達は教会が死んでいる光景を目の前に見え、その教会には神の真理がない。自分の霊が黒闇にいるような信仰光景を知らないで、常にひと群れの人は互いに言いあいになって、永遠に休止符を打つ事がない。
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  又私達は主を愛することが出来るように同じ思いを一つにまとめ、お互の間に派閥の結成や分争がないようにし、同じ気持ちとなって、堅く結び合っていてほしい。主の体を分裂すべきではない。もし党派を集めると主は必ず聖書の言葉の通りに 
 ヨハネの黙示録2:23また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
 ここの言葉で;「目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。」
 続き;「わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。」 
確かに今の全世界の教会は正にそうだったではないか?聖書の予言の通りになった。では我々はどうすれば宜かろうか?人を責めるか?裁くか?いいえそうするべきではない。前に述べましたが;
 ヨハネによる福音書12:24よくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
 主は教えて下さった:私達の技を知っている;私たちはもし活きたものであれば、すぐでも活きる身の振り方をするよう、もし死ねばただ死ぬ気振りをすれば好い。兄弟達よ;自分に問い合わせてください、自分がどっちの方に該当するであろう。
 主よ御声をかけてください;活き活きさせてください、そして勝利を得られるものにならせて下さい。又「目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけてください。」
 神の教えによって、今の教会の光景がよくないことを承知すれば、自ら始まって聖書の教えを実行できるように少しずつ頑張るではないか?他人を批判し、裁いても主に祝福されないことですので、勝利を得るためにも自分の不完全を承知し、悔い改めできるようにそして好い行いを行動に移し、霊のある神の子供になれるように頑張りますl。
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 ヨハネの黙示録3;3だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
 兄弟達;この教会は主の再来の時まで持続するでしょ。もし目をさましていなければ、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
実に主は地上に居た時に既に言われた;
 マタイによる福音書24:42だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。24:43このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
 以上の主の言とヨハネの黙示録の3:3の言葉と全く同じ意味である。兄弟達;貴方の主を信じ始める経緯を忘れないでください、神の国の素晴らしさを期待し続けてください;又 あなたが、「どのようにして受けたか、」「また聞いたかを思い起して、」「それを守りとおし、」「かつ悔い改めなさい。」
 神は今に教会に言われる言葉は即ち悔い改めることである。その外に言いませんでした。又それ以外に何か足りないか、何か増える必要があるとか言わなかった。教会は自ら堕ちいれ、主の誡めの標準には私達が達していなかった。兄弟達よ我々は早めに悔改め、主の求める標準に聖書の如くの通りを守りましょう。
 神はもっと沢山やれと要求しなかった。只好い行いが堅く保つことを持続し、悪い方に向かわないように悔い改めればよかろうと言う事である。もし目をさましていないなければ、主は言われた;わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
  サルデス教会も主の再来の時に続けるでしょう。ところで主のエペソ教会に対する言葉によって、「もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。」結局エペソ教会が早くも無くなった。
 主は来るまでにサルデスが持ち続けるであろう。言いかえれば、主の再来までに教会の光景もサルデスのような光景である。では私達の裁きには役に立つでしょうか?答えは;いいえ役に立ちません。サルデス教会の光景はそのまま変わらない。教会の光景が変わらなければ、貴方自身が「目をさましていなさい」。肝に銘じしてほしい。
  私達は目をさましましょう;自分なりの責任を達成させれば宜しいと思います。他人を裁かないし、又余計な口出しをすると、主が再来の時にどうなるか大変であろう。聖書を勉強したでしょうか?もし勉強したことがあれば、なぜ私の言葉を理解し、神を恐れないのか?主は又言われる;私からサルデス教会への手紙を呼んでいないのか?私の再来までサルデスの光景がそのままで変わる事がないと知らないのか?だから教会や人を批判や裁かないすべきである。
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   もしお外出の時に犬のフンを踏んでも、怪しいと思う必要がなく、あちこちに犬のフンがあるので、前へ進む事を止める必要がない。主は既に教えて下さった;このような光景には、私は許可したのだ。なぜ主はこのような光景をお許しになったでしょうか?主はサルデスにある勝利を得る者に呼びかける為である。神は自分の智慧によって多大な働きを行ったことを私達が理解することができない。私は当時このサルデス教会への手紙の内容を読んだ時に、自分の目を疑った。こう言う教会を金の燭台と呼べるのか?金の燭台であれば、ピカピカに光って、華麗で、珍しいものを擁するべきであるが、結果としてはサルデス教会が「わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。」
 この教会はまさか金の燭台であるが、これは大変なことではないか?でも誰か神の金の燭台を裁けるのですか?引き続けて読みましょう、その原因を究明します;
 3:4しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
「わたしと共に歩みを続けるであろう」とは何の意味でしょうか?一国の大統領がお出かけの時にその周りにいる者が信頼できる側近である。必ずこの「わたしと共に歩みを続けるであろう」を軽く見ないでほしい;この教会にある勝利を得る者の地位がとても高くて只数限られている。これらの方であれば、神の国では主イエス・キリストに付きっきりで、身分が相当に高いと言えよう。又サルデスにある勝利を得る者が主と同じ白い服をきるので、白い服とは栄光で輝くを表す事になる。主はこれらの方に二つの賜りが有って、一つ目;主と同じ服;二つ目;主と共に歩みを続けるであろう。
主はホワイトハウスへ行けば、彼らもついて行かれるが、クレムリン宮へ言っても同じである事を理解すればよかろう。しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が数人いる。そんなに多くはいないでしょう。
 中国清の時代に功労のある方に皇帝から賜る黄色い服があって、それを着る時に大小高官に出会っても膝が跪く必要がない特権を与えられた。その黄色い服が皇帝を表すのである。
 主イエスは山に登った時のことすが、その服が真っ白でした;
 マルコによる福音書9:2六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、9:3その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
 地上に居た主イエスは栄光に輝く時にもその衣は真白く輝きであった。そしてサルデス教会の勝利を得る者が主と共に白い服を着るー彼らは、それにふさわしい者である。
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主イエスは地上に居た時によく人に悪口を言われたが;例えばー鬼が添えられる、酒をむさぼって、よく食べる、又妄言をするなど、そして最後彼を十字架に釘付けられた。サルデス教会にある勝利を得る者が恐らく、主イエスと同様に批判されたり、軽蔑されたりするのではないか?「彼らは、それにふさわしい者である。」 彼らは主イエスの苦難の中に預かっていたのだから。
 3:5勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
 主は言われた;わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。これこそ栄光に満ちることですもの。なぜなら主の前に居られるのが既に極めて栄光に満ちたことで、まさか名前まで「その名を言いあらわそう」。
想像してください;アブラハムとモーセーとパウロの前に貴方の名を言い表そう。これはとてつもなく大きな賜りものであろう、同時に白い服で主と共に歩みを続ける。
3:6耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
サルデス教会に対し、神は先に勝利を得る者に呼びかけてから、教会に耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい
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