自序:呉明憲兄弟 |
聖書ヨハネの黙示録講義ー目録 |
聖書は予定論を主張する本だけではなく、根本的に予言を実現させるほんである。ヨハネの黙示録にある多くの予言はいまでも進んでいて、予言したことをすべて実現させることになる。予言とは、予言となる主な意味が、人間の人生には予定されているのです。言い換えれば、人間の人生には予定がされれば、進化論と言う論説には、不可能となる。もし人間は猿から変わってくることであれば、それでは、人生の遭遇には、一切の変化など予定されるはずがないのではないか? 使徒行伝17:26また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。17:27こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。 上記の聖書によって、人の命の年限と居住の境が予定されると言われている。人類の一挙手一挙動が予定されるということであれば、絶対猿から変わってくることがありえないのです。そして、猿から進化されて来る事でなければ、宇宙に一人真の神が存在されると説明が付く。この真の神によって、私たちを創造されたので、今の貴方や私や全人類がおられる。 今まで、これから、起こる全て予定されることについて、聖書にあるヨハネの黙示録によって、書かれ予言されていた。その時になると、必ず全部現実になる。ヨハネの黙示録講義を読む時に、神は既にその内に起こるべきことをヨハネの黙示録に書かれて、詳しく予言されていた。願わくは読者達が神に対し、恐れ入る気持ちを持つようにできれば、天と地を創造する真の神に畏怖と敬意をはらうできではないか? ヨハネの黙示録にある予言の的中によって、一つの事実を示した;即ち神の言には変わることがなく、今、異邦の民だけ聖書を風刺し、神の言を気にしないだけではなく、教会自身も聖書、神の言を参考にずるだけにしてしまう。これはとても危険な光景といっても過言ではない。もし神の言を参考にするだけで、終わってしまえば、私たちが信仰によって、救いを受ける事実には、問題が出てしまう。 神の言とは、正確で、永遠に変わらないので、ヨハネの黙示録にある予言は、全て実現されることが間違いない。我々はヨハネの黙示録を通じ、神の奇妙な予言の的中を目にしてしまえば、神を恐れ入る気持ちをもたなければならない。必ず神の言の前に降服しなければならない。 一人のクリスチャンとしては、聖書の全部の言葉を詳しく勉強するべきであり、そして、神の教えと誡めに従うべきである。こうするこそ、我々はクリスチャンの暮らしの中に本当の能力が得られる。今の教会の弱みや失敗には、人が神の言に対して、真面目さが足りないのは原因である。ヨハネの黙示録は予定論の実践を明かし下さるだけではなく、神の言に永遠に変わらないことも証明された。願わくは、すべての読者がこのヨハネの黙示録講義から助けが得られ、勝利を得るクリスチャンとなれるように もし神はヨハネの黙示録講義を通じて、私たちに話しをかけてくだされば、作者の願わくは、更に多くの人がもっと早く簡単の方式によって、このヨハネの黙示録講義のよさを得られる。そして、この講義を読んで、感動させられる方であれば、できるだけ、多くの兄弟姉妹にこの講義を分かち合いができるように紹介してください。願わくは神からの祝福は人々に臨むようにお祈りいたします。 作者 呉明憲 204年2月4日 6 |